もうがんばらない
Oppression 【抑圧】
2018年の初めに一年間を観たときに出たカード
2018年は私にとって特別だった
体調が下降し続け、動けなくなった年
身体が悲鳴をあげ続け、ついに限界を迎えた年
この世を離れかけ、なんとか現世に留まった年
その年、身体に不具合のない日は一日もなかった
意識不明のあと目が覚めたら身体が全く動かなくなっていて、自分では何もできない状態だった
想像を超えた滑稽にさえ思える身体の不自由さを実感すると同時に
「何もしなくていいんだ‼︎」
「それでも生きていていいんだ‼︎」
という、とてつもない幸せを感じる瞬間があった
寝たきりになったのだから、普通なら嘆き悲しみ、激しく落ち込むところなのかもしれない
強がるつもりはなく、そうは全く感じなかった
むしろ、自分の究極の望みが叶えられたとさえ思えるほどの至福の感覚を味わっていた
これまでの人生で何か人に誇れるような優秀な成績を残したり、「これだけは誰にも負けない」なんてことも何もなく、ごくごく平凡に(苦手な陸上での運動を除いては)ときに要領よく、まあ人並みにできて普通に生きてきたと思っていた
しかし、実はそうではなく、ものごころついてこのかた、私なりに頑張り続け、必死に頑張って頑張って、どうも頑張りすぎていたようだった
私は疲れていた
半世紀生きて死にかけて回復しつつある今になって、ようやくわかった
私はこれまで自分にどれだけプレッシャーをかけ続けていたのだろう
どれほどの駄目出しを自分自身に出し続けてきたのだろう…
抑圧は一人芝居だった
運良く生まれ変わるほどの体験ができた
これからの人生は、自分を抑圧することなく解き放ち続けることを自身に誓っている
先日、発表会以来のバイオリンのレッスンのとき先生が
「他の生徒さんの何人もがRumikoさんの演奏が良かった、との感想でしたよ」
(中には私と面識ない人もいたとのこと)
「音楽って伝わりますね」
と言ってくださった
こんな場面でも、以前は「でも…」とダメ出しをし、認めることをせず一部受け取り拒否をしていたから、全部は受け取れていなかった
しかし今では素直に嬉しく、言葉どおり受け取ることができて、とても幸せを感じる
また透析に通う病院で、入院時の坊主頭の私を知っていてしばらく振りに会った看護師さんが
「髪、伸びたね。頭の形もいいし、髪型(ベリーショート)すごく似合っていてカッコいい」と言ってくれた
これも以前なら、即座に何かと比べて良くない部分を自らあげつらっただろうけれど、そのときはただ嬉しかった
もう頑張らないと決めたら、いつのまにか自分への駄目出しがなくなり、自分を認められるようになっていた
「もっとこうしたい、もっとああだったら…」
より理想を求め、もどかしがる自分は今でもよく見かけるけれど、最近は
「今の私はこう!すごい!すごいよ!」
と随分と思えるようになってきた
自己満足、大事‼︎
抑圧の真逆は自己満足なのかも…⁈
以前はひたすら駄目出ししていた
それで改善できて良くなればいいけれど、自分にダメ出ししすぎて疲れて、ヤル気をなくし自信を失っていた
いったい何にエネルギーを使っているのか?
本末転倒‼︎
でも、今は違う
例えばバイオリンだったら
「ここがダメ!この音が変!やり直し!」
という駄目出しではなく、弾けることが有難いし
弾いていて楽しくてもっと満足したいからこそ
「もうちょっと気に入った音が出るかも…」と熱中し、疲れたら無理せず休憩しながら練習を続けられる
あー楽しくなってきた
この調子でいこう♪
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